『神曲 天国篇』に太刀打ちできず

『神曲 天国篇』ダンテ・アリギエーリ(寿岳文章訳)

結局天国篇も続けて読んだのだが、やはりきつかった。

地獄篇、煉獄篇と違うのは、まず亡霊たちが光で現れてくるところ。

かたちをなしていないのだ。だから当然描写が難しい。

そして、何よりもキリスト教についてある程度きっちり分かっていないともはや読みようがない。

当然前2篇についてもキリスト教の教養は必要だが、それがないとしても個々の亡霊たちの過去のエピソードなどで面白く読めるが、天国篇になるとイエスのあたりはもとより、それ以後のローマ帝国における聖人達、例えばフランチェスコなど、といったおそらくヨーロッパではメジャーな偉人をある程度分かっておかないとかなり難しい。

なんといってもダンテは地球から水星、金星、太陽、火星、木星、土星、そして恒星天、と登っていき最終的に至高天でキリストやらと出会うというとんでもない話を構想しているわけで、このとんでもなさについていくには相当な覚悟が必要なのだ。

で、私はあんまり覚悟ができていなかったのでほとんど読み飛ばす結果となった。

再読しなければならないです。

キリスト教とローマ帝国について基本的なことをきっちり押さえたうえで再度挑戦したい。

読み飛ばした中で印象的だったのは第22歌。

恒星天まで昇ったダンテがベアトリーチェにうながされいままで登ってきた地球からの足取りを振り返るところ。

言われて私は、経登ってきた七つの天球のひとつひとつに再び目だけをもどし、最後に、この地球を眺めたが、そのあまりにもみすぼらしい姿に、思わず私はほほえんだ。(p318)

 

地球から遠く離れた星から地球を振り返って見る。

スケールがちょっと違う。松本零士的な絵でもあるが、地球をみすぼらしい、と言いきってしまうところがつまらないヒューマニズムやらに流されない、ダンテのかっこよさだなあ。

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