『読む人間』を読んで読む人間になりたくなった

『読む人間』大江健三郎

大江健三郎は私にとってもっとも思い入れのある作家だ。

ほとんど文学というものに触れていなかった私が「文学」を読んでやろうじゃないか、と思って手に取ったのがなぜか大江健三郎『ピンチランナー調書』だった。

どうしてこの本を読むことになったのかまるで覚えていない。

ただ、私が思っていた「文学」とはまるで違うもので、びっくりした。

そして私は大江の小説やエッセイをひたすら読みまくったのだった。

いろいろ大江の本を読んでいてわかったことは、この人は異常に本を読む、ということだった。

おそらく私が本を読む、というのとはまるで性質の違う行為なのだ。

大岡昇平の『成城だより』という日記にも、大江健三郎の読書量に感嘆していた一節があった。

何でも読んでるんだな、と。

この本は大江健三郎が講演で自分と読書について語ったものだ。
その中で、『新しい人目覚めよ』という小説にも出てくる、しかし実際にあったらしい挿話が語られる。

障害のある息子と台風が来ている最中伊豆の山荘に二人で行った。

しかし停電で何も見えない。

やることがないので酒を飲んでいる、という状況。

 そのうちに-本を読むことはできないんです。暗いし、もともと私は酒を飲むときは本を読まないんですよ。たいていの人がそうでしょうが-退屈なものだから、自分が覚えているブレイクの何行かを声に出してみることにした。酒を飲みながら思い出して、ブツブツ言う。(p114)

この挿話は障害のある息子と夢についてが主題なのだが、私は退屈だからウイリアム・ブレイクの詩を声に出してみる、という発想がないな、というところに驚いてしまった。

きっと同じ状況であれば、うだうだいろんなことを考えて、そのうち酔っぱらって寝てしまおう、としか考えないだろう。

この人はほんとうに本が好きなんだ、私とはまるで質が違いすぎる。

いつかは大江健三郎くらいに本が読めるようになるのだろうか、と思っていたが、もはや私は私のペースで私なりの位置づけで読書を続けていくしかないのだろう。

この中で大江は外国語の原書と翻訳書を見比べながら読んでいくことの効用を強く言っている。

自らの初期の小説、『奇妙な仕事』がガスカールというフランスの作家の原書と翻訳をそれぞれ比較して読み進めることで、あの文体ができたのだという。

 まず最初は翻訳を、線を引いてがっちり読む。二番目は、線を引いたところを原文に当たって、一つずつ読んでゆく。それから三番目に、それがほんとうにいい本ならば、そしてもう1か月時間をかけていいというような時であれば、これだけのことをやったあとで原書を最初から読み通してみる。それがrereadingとしていちばんいい進み行きです。(p43)

 外国語と日本語とのあいだを自分で往復する。そうやって言葉の往復、感受性の往復、知的なものの往復を味わい続ける作業が、特に若い人間に新しい文体をもたらす、と私は考えています。(p70)

まあ、もう若くもないんだけれど、がんばってこういう訓練はしてみたい、と思い始めた。

もうちょっと早く言って欲しかったな、という気もするけど。

それからサイードの著作は気になっていながらまだ読んだことはなかったが、読んでみたくなった。

読みたくさせるような講演である。

ついでにダンテについての研究書も(p136)。

これはきっと読めなそうだが。

英語なので。

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