詩を読むこと

ここのところ、詩を読んでいる。
『戦後名詩選Ⅰ、Ⅱ』というのを中心にして、うちにあるいくつかのほこりをかぶった詩集を読んでいる。
詩をこの年齢になるまで読めないでいた。
読み方がわからなかったのだ。
詩集があるとして、それを頭から順番にきっちり読んでいこう、としていたけど、いつも挫折した。
音読しなくては詩は読んだことにならない、なんてこともどこかで聞いた。
気恥ずかしくて、詩を音読なんてできない。
現代詩は難しい、と言われる。
わたしには現代詩のみならず「詩」というジャンルじたいがどうしても踏み込めないもののような気がした。
吉本隆明の『詩とはなにか』という本を読んでいると、現代詩を読むときなんかそんなに難しく考えることねえよ、と言っている。

 大抵のばあい、わたしは、よんでもうまくわかったと感じられない作品をまえにすると、わかったと感じられる個処をつなぎ合わせて作品全体の秩序が実感できれば、その作品の鑑賞をおしまいにするのである。(『現代詩のむつかしさ』)

こんなもんでいいのか、と驚いて、楽になった。
今になって思うと、わたしは詩のことをこんなふうに思っていた。
詩は暗号のようにできていて、いっしょうけんめい読み解くことによって真理が書いてある、と。
だけどそうではなさそうだ。
言葉の塊みたいなものをぽつりぽつりと拾い食いするように、アンソロジーをいくつか読んで、気に入った詩人の詩集をまたぽつりぽつりと読むことを始めた。
どきどきする言葉の組み合わせに驚いたりする。
新聞記事の文章とはあまりにもちがう日本語に驚く。
詩の言葉を取り入れることで、じぶんの中の日本語をいったんチャラにしてしまいたい。

自分自身をチャラにしてしまいたい。

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