『おぱらばん』

堀江敏幸

 

堀江敏幸の本はなんとなく手に取らないまま来てしまった。
気になってはいるのだが、後回しにしよう、と言って。
読んだらきっとおもしろいんだろうな、とは思いながらも、まだ読んじゃだめ、と思いながら本だけは手に入れてきた。
新潮文庫から三島賞受賞作の本書が出て、先日読んだ『柴田さんと高橋さんの小説の読み方、書き方、訳し方』でも触れられていたから、とうとう読むことにした。

高橋(略)ところで、堀江敏幸さんの作品だと柴田さんが『郊外へ』で僕は『いつか王子駅へ』を選んでますが(引用者注:海外に紹介したい日本の小説ということで選んでいる)、じつはどちらも同じような工夫がある、場所が日本と海外っていうだけで、堀江さんも普通に書いているように見えて大変な工夫があるわけですね。普通に書くのがいかに大変かっていう例で、これも「ニッポンの小説」の典型かなと思うんですが。
柴田 なるほどそうですね。新しく出てきた人たちの中でいちばん壊れていないのは堀江さんだと思ったんですが、それは堀江さんのばあいはフランス文学者としての素養があるからクラシックに書けるからなのかなと思いつつ、それも何か違うかなと思っていたんです。
高橋 そう、壊れていないように一応は見える(笑)。すごく端正でね。
柴田 端正ですね。
高橋 でもこれを読むと、これはただ端正なのではなくて端正という壊れ方ではないか(笑)。(略)(『柴田さんと高橋さんの小説の読み方、書き方、訳し方』)

たしかにねじれてねじれて360度回ってきて、美しい文章に帰ってきたという感がする。
文章が美しい上に、ユーモアと博識に満ちていて、完璧すぎるために批判すらできない感じが漂っているのだが、そこがむしろ作戦なのかもしれず、「不気味さ」が匂ってくる。
決して完璧な文章、描写といったものは存在するわけはないのであるけれど、それを僭称している、不遜な雰囲気。
現代においては完璧な文章なんて作れないということは作者は百も承知なのであって、その美しさで私たちを罠に誘い込むのである。
その結果、私たちは内容はもとより、文章自体の虚実をも確認しながら読み進めていかなければならない。
文章や筋をぐちゃぐちゃに破壊するのとは全く逆の戦略を用いているのかもしれなかった。
そんなむだな憶測は置いておいて、筋もおもしろい。
ほとんど知らない小説家や画家と「私」の経験との絡ませ方。
必ずオチがある短篇小説。
読めば必ず嵌るのがわかっていたから読まなかったんだろうなあ。