『白痴』

ドストエフスキー 望月哲男訳(河出文庫)

 

高校生の時に読んだのだが、いつもどおりほとんど覚えていない。
ムイシュキン公爵(今回の訳では「ムィシキン」)が無垢な存在であるということと、興奮して読んだということの記憶だけがあった。
高校生の時と比べてキリスト教について多少知識がある今は、ムィシキンが宗教的な存在であるように書かれていることがはっきりわかる。
ムィシキンの道化性、無垢性は真実をえぐり出し、たいていの場合はほとんどの人にいやがられる。
しかし、すぐに誰もが魅了される。
訳のせいかもしれないが、ムィシキンの語り口は大江健三郎の小説に出てくる「イーヨー」すなわち主人公(≒大江)の長男の話し方と似ている。
大江の一連の小説においても、その長男の意表を突いた発言が物語を動かし、登場人物を動揺させる。
おそらく、最初に読んだときはそんなムィシキンのキャラクターにばかり眼がいったのだと思うが、今読むとほかの登場人物にも深く魅せられる。
『カラマーゾフ』と較べると悪の書きかたが少しだけ浅いのかもしれないが、しかしひとりの人間の多面性、複雑さがこれだけ描かれているのはすごい。
例えば、高校生だった私はたぶん、なぜムィシキンがアグラーヤというどちらかといえば善に属する女性を選ばず、悪とはいわないまでもずいぶんややっこしい女性であるナスターシャ・フィリッポヴナを選んだのかがきっとまるでわからなかった。
そうした理由が今ならわかるわけではないが、疑問はない。
世界は正しいとか悪いとか、それだけでは割り切れないことだらけなのだ。
ムィシキンはそうするほかなかったのであって、ほかの選択肢はないのである。
ロゴージンをはじめとして複雑きわまるキャラクターたち。
まるで小説の筋に関係のなさそうで複雑に絡み合うエピソードの数々。
結局興奮して読み終えてしまった。
突然私たちの世界にやってきて、すべてを攪乱して、そしてまた去っていかなくてはいけなかったムィシキンはやっぱりすごいキャラです。
訳も読みやすい。

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