『悪と全体主義 ハンナ・アーレントから考える』

仲正昌樹    NHK出版新書

「全体主義」は過去のことばのように思えます。

せいぜい、時の政権を大げさに批判するときに使うことばに過ぎないのではないでしょうか。

しかし仲正さんは、ハンナ・アーレントの『全体主義の起原』を読みときながら「全体主義」は決して過去のものではない、ということを明らかにしていきます。

 

「全体主義」とは、当初はムッソリーニたちが自分たちの運動を形容するために使ったことばでした。

それは、各人を共同体としての国家へ再統合するファシズムの理念の意義を強調するものです。

その後、ナチズム批判や、冷戦下の東側批判のための否定的なことばとしても使われるようになります。

アーレントは、全体主義の起原を19世紀に広がった反ユダヤ主義に見出します。

ユダヤ人はすでにヨーロッパ社会に同化しつつありましたが、同化しつつあったからこそ「スケープゴート」とされるようになったのだといいます。

何のためのスケープゴートか。

「国民国家」の成立のために、「他者」を排斥するという運動が必要だったのです。

国民が同一性を確認するためには、隣のユダヤ人をのけ者にする、という行為が必要だった。

現代のヨーロッパでも移民の問題があり、日本でも朝鮮人、中国人らに対するヘイトの問題としてあります。

19世紀の終わりには、それまでの「市民」に替わって「大衆」が登場します。

市民が自由や平等に関する自らの権利を積極的に主張するのに対し、大衆は国家や政治家がなにかいいものを与えてくれるのを待っているだけの存在。

耳が痛い。

当時のドイツは第一次世界大戦で叩きのめされ、多額の賠償金を支払うことを余儀なくされていました。

苦しむ大衆に対し、全体主義政党が提示したのは架空の物語でした。

われわれの民族は世界を支配すべき選民であるとか、それを他民族が妨げているという物語。

ナチスは「反ユダヤ主義」とユダヤ人による「世界征服陰謀説」を提示しました。

大衆はその物語に飛びつきます。

ナチスはいっぽうで秘密結社的ヒエラルキーを取り入れたり、組織を二重構造化したりすることで全体主義を強化していきます。

架空の物語を使い、組織にヒエラルキーを導入するという手法は、オウム真理教を思い起こさせます。

そしてそれはオウムだけの問題ではありません。

現代の日本においても常に陰謀論は飛び交っています。

全体主義は、単に妄信的な人の集まりではなく、実は、「自分は分かっている」と信じている(思い込んでいる)人の集まりなのです。

 

「悪」については、アーレントの『エルサレムのアイヒマン』を解説しています。

アーレントはなかなか手強いですが、挑戦したくなる本です。

裁判記録を元にした『エルサレムのアイヒマン』のほうが読みやすいのかもしれません。