インターチェンジ論

最初からではなく、「途中から入る」ということに「美」もしくは「快楽」を感じてしまう。

私が人生で重要なことの8割を学んだのは、水島新司先生の「ドカベン」。

最初に出会ったのは、少年チャンピオン誌上の確か巻頭カラーだった。

明訓高校対赤城山高校、9回に山田が起死回生のセーフティバントを決めた場面です。

ドカベンを初めて見たから、山田太郎も岩鬼も、ましてや「わびすけ(木下)」も知りませんでした。

しかし、このマンガはすごいぞ、と子どもながらにわかったのです。

それからどうしたか?

すでに販売されていた1巻から読んでいけばいいものを、わざわざ8巻とか15巻とか適当なところを入手してつまみ食いして読んでいきました。

したがって、当然ますますわからなくなる。

土門だの、いつも笑っている選手だの、キャラクターは多いから何が何だかわからない。

ただ、そのわからなさを想像で埋めていく作業がおもしろくなっていきました。

今ならそんな面倒なことはせず、1巻からきちんと読んでいくでしょう。

「途中」から入って、いろいろむだに想像していく、という気質がなぜ生まれたのか?

考えていたら、よく転校していたからかもしれない、という気がしてきました。

 

私は小学校で2回転校しています。

転居だけでいえば、6回くらいしている。

友だちと仲良くなっても、別れることを余儀なくされます。

そして、新しい環境に入っていくことになります。

新しい環境では基本的に私は新参者であり、周りの様子を想像していきながら、人間関係の渦に入っていきます。

それを繰り返すうちに「途中」から入ることを好む性向ができたのではないだろうか、という仮説を立てました。

 

生まれて、死ぬまでのあいだは「インターチェンジ」の連続みたいなものかもしれません。

高速道路をびゅんびゅん走っている中になんとか合流して、スピードを上げて車間距離を取って。

そして高速道路の速度について行けなくなって、インターチェンジから高速道路を退場していきます。

現代人の人生は、基本的にインターチェンジの連続です。

進学のたびに、新しいメンバーと出会い、学校を出たあと就職して、同世代とは違う年代の人たちと出会い、職場でも、異動があるたびに知らない人と出会います。

出会いがシステマチックに訪れるのは苦手です。

初対面でも物怖じしないタイプというのがたぶんすばらしいということになるのですが、私にはうまくできない。

時間が必要です。

 

昔の共同体は、生か死くらいしか出会いと別れのシーンはなかったのではないでしょうか。

あとは基本的に同じ構成員で暮らし続ける。

かといってそれがいいかというと、それも苦手です。

共同体というものがうっとうしくてたまりません。

「絆」とか勘弁して欲しい。

じゃあ、どうすればいいんだ。

わがまますぎるぜ。

同じメンバーの中で放っておいてくれるのがいちばん望ましい。

世の中は、そんなに思い通りにいくものではありませんし、それを心底望むわけでもありませんが。

 

こんなことを考えているのは、そろそろ職場復帰の時期が近づいているからかもしれません。

2年近く休んでいたので、職場には知っている人がほとんどいない。

それはそれでさっぱりしていいのですが、不安もあります。

もちろん、そんなことを気にしてもしょうがないことです。

なるようにしかならないのだから、あれこれ考えてもしょうがない。

もう一度合流車線で加速して、うまく走れればいいな。