『平田篤胤 交響する死者・生者・神々』

吉田麻子 平凡社新書

 

「本居宣長」に続いての江戸思想に入門してみましたシリーズ。

「平田篤胤」という名前は日本史で習ったきりです。

国粋的な思想家、と記憶しました。

本書によれば、篤胤は霊感の強い人だったようです。

一方で、篤胤の中には、恐らくかなり早い段階から、「この世ならぬ霊妙なもの」に対する非凡で鋭敏な感性が備わっていたと考えられる。それは特に、自分が生活する中でふと耳にしたり体験したりする、身近の不思議についての霊的な実感である。(p20)

秋田を出奔し江戸で暮らす中、すでに亡き本居宣長の著書に出会い、篤胤は夢の中で宣長から弟子入りを許されます。

つまり篤胤は、今は亡き宣長の霊魂と出会い、弟子として認められたという夢を見るほどに、宣長の思想と自分の抱える実感との間に強く共振するものを感じ取ったのだと言える。(p22)

篤胤の原初の世界についての考え方は、宣長の日本中心主義をさらに推し進めていったものでした。

ようするに篤胤は、世界中のすべての伝承や文明の基礎に、日本の神があると考えているのである。(中略)始原は間違いなく日本にあり、万物は日本の神々の霊力によっている。よって、つまるところ、西洋文明とは日本のカミによってもたらされた種が遠くで育った結果なのである。(p64)

一方、死後の人間の魂はどうなるか、というと「幽冥界」におもむくことになると説きます。

幽冥界は、人間の世界から遠く離れたところにはない。この地球上の、われわれの日常に隣り合わせるように、また重なるように存在している。目には見えないが、いわば地球上のどこにでも満ちている。そして大国主神が治めるその幽冥界から、死者は生者を常に見守っている。(p67)

このあたりになると思想家と言うより、宗教家と言った方がいい気がしてきます。

さらに篤胤は著作を進め、師である宣長を乗り越えていくような仕事をしていきます。

 平田国学の中心には、篤胤によって再編成された「正しい神話(古史)」がある。篤胤によると、『古事記』や『日本書紀』といった神話は完全なテキストではない。もともと神代から伝わった正しい神話というものがあったのだが、その全体像は失われてしまった。『古事記』『日本書紀』とは、もともとあった正しい神話の断片であり、不十分な形なのである。一方、神から人へ口伝された『延喜式祝詞』だけは正しい伝えを残している。

そのような立場をとる篤胤は、祝詞を重要視しながら、記紀その他の伝承を一つに再編成し、かつて存在したはずの「正しい神話(古史)」をみずから選び定める(復元する)のである。(p126)

なぜ篤胤は「神話の再編成」をしたのでしょうか。

著者の吉田さんはこう言います。

 篤胤にとっては、神々の存在を強く実感すればするほど、人間の生命の営みには非常に豊かな意味がこもっているように感ぜられる。雨が降り大地は潤い、川には水が流れ、山々には霧が立ちこめ、太陽に照らされて穀物は実り、人びとはそれを収穫し子供を産み育てながら、笑ったり泣いたり怒ったりと日々の感情生活を送る。宣長の『古事記伝』ではこのように貴賤を超えた人びとの生活、特に名もなき庶民の生が不思議と豊かなものに彩られている、という篤胤の実感の根底にあるものを解明することはできない。

篤胤は、幽冥界の存在を高らかに宣言した『霊能真柱』の後に、あらためて『古史伝』を著すことによって、宣長の『古事記伝』では明らかにされなかった、人間の死生の意味全体を、もう一度大きく肯定的に捉え直そうとしたのであった。(p130)

宣長は『古事記伝』で「人は死後汚く穢れた夜見の国へ行くこと」を論証してしまいました。

まったく元も子もない人です。

篤胤はそんな考え方に耐えられなかったのでしょうか。

一方、篤胤の倫理についての考え方について吉田さんはこう書きます。

 このように篤胤は、人間が悪事や過ちを犯さないで生きていくためには、目に見えない神々を意識しながらも、主体的に努力すべきだとするのである。(p202)

幽冥をつかさどるオオクニヌシが、目に見えない隠れた善事・悪事(それは、密かに実行された悪事だけでなく、心の中の悪をも含む)のすべてを見通し、それぞれにかなった報いを現世で与えるというのだ。また、人の死後にゆく幽冥界では、生きている間に行っていた善悪を審判して、さらにその魂に賞罰を与えるという。(p204)

これってほとんどキリスト教ではないでしょうか?

篤胤の宗教的な考え方は、死を隔離する現代において有効な考え方です。

しかし本書は入門書とは言え、篤胤に寄り添いすぎるように思えました。

オカルト的なエピソードについては少し引いてしまいます。

篤胤の思想を現代において捉え直すためには、批判的に読むことも必要なのでしょう。