「没後50年 藤田嗣治展」を見に行く

東京都美術館で開催されている「没後50年 藤田嗣治展」に行ってきました。

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藤田嗣治展に行くのは、生誕120年である2006年に東京国立近代美術館で開催されたとき以来。

当時の私が持っていた藤田についての知識は、フランスで有名だったとか猫とか、その程度のもの。

軽い気持ちで見に行ったらあまりにすばらしくてショックを受け、図録まで買ってしまっていました。

物忘れがひどいので、当時どんな作品を見たかほとんどは忘れてしまったけれど、どうしても忘れられない作品がありました。

今回もその作品が展示されているということだったのが、見に行くいちばんの動機でした。

《アッツ島玉砕》

猫とか女性ばかり描いていると思っていた藤田が、このような絵を描いていることが衝撃で、2006年のときもずうっと見ていました。

戦争画というと《ゲルニカ》や《マドリード、1808年5月3日》を思い出します。

しかし《アッツ島玉砕》はそれらを凌駕しているようにも思えました。

タイトルと絵からの印象だけだと、ひょっとしたら戦後に戦争の悲惨さを描いたもののように思えます。

しかし、藤田は先の戦争の際、軍部から戦争の記録画を制作するように依頼されていました。

取材したうえこの絵を描き、戦争中に開催された「国民総力決戦美術展」に出品したのだそうです。

戦意の鼓舞のために描いたのでしょう。

しかし現代にこの絵を見る場合は、戦争は悲惨だというメッセージしか受け取れない。

そのような「矛盾」に私はさらにひきつけられてしまいます。

《礼拝》などの晩年の宗教画には、藤田や妻が組み込まれています。

Foujita (Léonard Tsuguharu Foujita, 1886-1968). “Vierge couronnée par deux anges”. Huile sur toile, 1962-1963. Paris, musée d’Art moderne.

藤田は自画像を若い頃からずっと描いているので、自然なことです。

もちろん荘厳な雰囲気があるのですが、藤田の自画像があることでつい笑ってしまいます。

どことなく高橋源一郎さんにも似ているような気もして。

藤田はときには戦争に勝つために、ときには信仰のために真剣に絵を描いたのでしょう。

しかし制作時の考えを突き破って、絵の持つ力やユーモアが現れてくるのが藤田の絵なのかもしれません。

そういえば今年見た小沢剛さんの作品でも、《帰ってきたペインターF》として藤田が大きなテーマの一つとなっていました。

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藤田は簡単には分からないし、おもしろい。

もう少し突っ込んでいろいろ調べてみたいなあ。

平日だったこともありますが、比較的空いていてゆっくりと見ることができました。

ミュージアムショップでしりあがり寿さんが描いた藤田と猫のハンカチとキーホルダーを買ってきました。

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この記事を書いた人

m-betsuo(べつお)

やる気のない中年男性が、やる気を出そうとしています

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