「作戦」と「真っ裸スタイル」

私の上司が部下である私や同僚を集めて、緊急ミーティングをした。

仕事を発注する相手と受注するわれわれとの交渉がうまく行かなかったそうである。

作戦ミスでした、と上司は言った。

現行の条件で相手から受けられる仕事の量を100とすると、相手は200を示してきた。

それに対し上司は20を提示した。

上司的には最初に20を提示しておいて、徐々に歩み寄って100くらいにもっていこうとする作戦だったのだそうである。

しかし20を提示した段階で、相手が完全に怒ってしまったらしい。

ややこしいのはこの交渉には決裂ということがありえないという点なのである。

条件に合わないからといって、こちらからちゃぶ台をひっくり返すわけには行かない。

必ずどこかで落としどころを探さなければならないのだ。

その結果、ごたごたしたあげく相手からの要求である200を全面的に呑まざるを得なくなってしまったそうだ。

われわれには相当の負担がかかることになる。

私はミーティングの場で負担について柄にもなくわーわーと文句を言ったのだが、本日の論点はそこではない。

今回、そもそも作戦ということが必要だったのか、ということである。

作戦と言うからには、上司には勝敗の基準があったのだと思う。

しかし、この交渉は先ほども書いたようにどこかで落としどころを探さなくてはいけないのだ。

したがって戦いと考えるべきではなかった。

「作戦」を考えた時点で、相手からの不信感が生じるのは明白であった。

こちらがややこしいことを考えているということが明らかなのは、相手にとって不快でしかない。

もっとオープンな話し合いをすべきだったのではないか。

こんなことを考えたのは、先日読んだ須田仁之さんの『捨てる。手を抜く。考えない。月460時間労働から抜け出した私の方法』にこんな一節があったからである。

 優秀なビジネスパーソンはカッコつけません。

 わからないことはわからないとはっきり言うし、とにかく正直な人が多いです。まさに〝真っ裸スタイル〟で会話してきます。 「そんなこともわかってないの?」と突っ込まれても嫌な顔ひとつせず、「そうなんですよ、助けてください」などと屈託のない笑顔で言ってきたりします。

外交交渉においてまで屈託なく「助けてください」という必要はない。

ただ、基本的に「真っ裸スタイル」でいかないと、なかなか人との話し合いなんてうまく行かないのではないだろうか。

まあ真っ裸も作戦であるといえばそうなのだが、少なくとも相手にはわれわれの考え方が透明に見える。

当初からあざとい作戦を仕掛けると、こちらが何を考えているか相手は分からなくなる。

それはコミュニケーションの断絶につながり、結果的にうまく行かない。

ということを実は近年ずっと考えてきていたのでした。

自分が何を考えているか分からない、とよくいわれていたので。

もっと真っ裸理論を強く打ち出さなくてはなりません。

その勢いで、ミーティングでわーわー言ってしまったのですが、その結果がどうなることやら。

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この記事を書いた人

m-betsuo(べつお)

やる気のない中年男性が、やる気を出そうとしています

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