日曜夜11時というと、今の私はすでに寝ているのだが、小学生の私は起きていました。
ラジオを聴くためです。
1970年代後半からニッポン放送で放送されていた「滝良子の全日空ミュージックスカイホリデー」。
パーソナリティの滝良子さんのニックネームは「ソラマメさん」といいます。
おそらく「ニッポン放送ショーアップナイター」の流れで聴き始めたと思っていました。
だが、Wikipediaによればナイターシーズンは放送していなかったそうです。
この番組では、よく「ニューミュージック」を流していました。
今となると「ニューミュージック」の概念はよくわかりませんが、当時の私には歌謡曲やアイドル系やフォークソングとは違う、確かに新しいジャンルの音楽でした。
この番組は私にとっては大人の音楽を聴く窓口だったのです。
ある夜、リスナーが投票して決める「好きな曲ベスト10」みたいな企画があり、そこで初めてオフコースの名前を知り、「秋の気配」や「眠れぬ夜」を知りました。
「やさしさにさようなら」もベスト10に入っていたので、1978年のことだと思います。
オフコースが異常に強い番組でした。
翌年末リリース「さよなら」のヒットにより彼らはブレイクするのですが、当時はまだ知る人ぞ知るといったグループだったはずです。
「秋の気配」にはショックを受けました。
サウンド、歌詞、コーラス、小田和正の声、どれを取っても完璧な音楽だ、と思いました。
今でも古びないし、普遍的な歌詞だと思います。
その放送回はたまたまラジカセでエアチェック(ラジオをカセットテープなどに録音すること)していたので、それから毎日テープをくり返し聴きました。
その後しばらくして、ようやく「Selection 1973-78」というベストアルバムを手に入れました。
いい音で初めて聴いた彼らの音楽は格別でした。
ベストアルバムで「別れの情景Ⅰ」や「ワインの匂い」といった名曲を新たに知り、オフコースにどんどんのめり込んでいきます。
中学に入るとフォークギターを買ってもらい、「秋の気配」の完コピを目指したものでした(ある程度までしかできませんでしたが)。
オフコースが「We are」という、彼らが初めてオリコン1位となるアルバムを出したときは、私は中学生でした。
なぜか、女子に私がオフコースファンということが知られていました。
ある日、女の子から、レコードを貸してくれるように頼まれました。
私はその子のことを好きでしたが、言い出せないでいました。
絶好のチャンス!
しかし、思春期に少年から大人に変わる頃の私はどうふるまえばよいかわからず、ひどくぶっきらぼうに「ほら」って感じでレコードを貸し、その子から「こわい」と言われてしまいました。
まいったなあ。
思い出すと、今でもまいります。