昨年、新海誠監督の「言の葉の庭」を見ていたら、エンディングで秦基博さんの「Rain」が流れてきました。
びっくりしたけれど、映画にぴったりの曲でした。
「Rain」を聴いてなぜ驚いたのかというと、私は大江千里さんのファンクラブに入り、似たようなボストンタイプのメガネを選んでかけていたほどのファンだったからです。
「Rain」は大江千里さんのアルバム「1234」に収録されています。
「大江千里」といっても、小倉百人一首の歌人ではありません。
「おおえせんり」と読みます。
大江千里(以下敬称略)は、80年代から90年代に活躍したポップスターでした。
コンサートには10回以上行っています。
NHKホールでは「Boys&Girls」を合唱したし、「納涼千里天国」という西武球場で行われた野外コンサートにも何年か行きました。
世間的には、軟弱なちゃらちゃらした音楽をやるというイメージだったでしょう。
まあ、確かに「フェンス越しに女の子たちとそんなゲームを楽しん」だり、「僕を選んだこと後悔させない」なんて言ったり、甘甘な歌が多いです。
しかし、1987年にリリースされた12インチシングル「POWER」あたりから傾向がかなり変化した気がします。
そして1988年にリリースされた「1234」は、そのイメージを決定的に変えるものでした。
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何が変わったのかというと、その歌詞。
たとえば「サヴォタージュ」という曲。
夕方混んだ都バスのにおい
皇居沿いに立つ静かな社宅
かかえきれない夢も変わらず
この夜を抱きしめ続けてる
(中略)
誰とでもいい 話がしたい
だけど話すことが何もない
結婚もする 子どももつくる
ありあまる情熱
「都バス」、「皇居」といった、当時のポップスには使われないごつごつした名詞が私には衝撃的でした。
「ハワイへ行きたい」では、ただひたすら「ハワイへ行きたい」と歌い、「ジェシオ’S BAR」では「日曜日でも選挙は行かない」などといってしまうのです(「夜のヒットスタジオ」に大江千里が出演し「ジェシオ’S BAR」を歌ったとき、その部分の歌詞を変えていたように記憶しています。たぶんすぐ実際の選挙が近くに控えていて、自粛したのだなあ、と思いました)。
1989年にシングルでリリースされた「おねがい天国」も、どうやったらこんな歌詞が書けるのだろう、と驚いていました。
だから Thank you 彼女に休暇をあげなよ
しょっちゅうふたりじゃ恋も疲れる
そしてDear Guy やもめに戻って
月・金燃えないゴミを出すのさ
しかし90年代中盤になると、歌詞の輝きが薄れ、声の不安定さが気になり、打ち込みの音に飽き、なにより自分自身がようやく学生気分から脱け出す時期にさしかかったこともあって、急速に千里熱が冷めていきました。
今世紀に入ってからは、ほとんど聴かなくなってしまったかなあ。
40代後半にして、アメリカにジャズの勉強をしに行ったことを聞いたときは、大江千里らしいなあ、と思ったものでした。
ジャズピアニストになるという夢を持ち続けていた、ということは知らなかったのですが、身の振り方がすてきです。
今度はメガネではなく、生き方を参考にしたいな、と。
彼のジャズのアルバムを聴くことがあるかどうかはわからないけど、「1234」は最近たまに聴いています。
簡単には古びないアルバムです。
「Rain」が秦基博さんや槇原敬之さんにカバーされたのは、自分が認められたことのように、とてもうれしいことでした。