このブログのタイトル「m-betsuo-radio 」という名のうち、「betsuo」というのは飼い猫の名前から来ている。
「べつお」という名は少し変わっているかも知れない。
デヴィッド・ベッカムというサッカーのスーパースターの名から由来している、ということを以前書いたことがある。
2002年6月、サッカーの日韓ワールドカップが開催されていた。
私は準々決勝のイングランドーブラジルというプラチナカードを静岡に見に行くことになっていた。
イングランドのエースがベッカム。
準々決勝の前日に拾われたのがべつおだった。
9月に入ってからべつおはほとんど食事も摂らず、いつ亡くなってもおかしくない状態だった。
なぜ食事を摂らないかについて、病院の先生は「動物は少しずつ代謝を減らして苦しくないようにしていくのです」とおっしゃった。
私もべつおに急に死なれるのはつらいので、そういう期間があるのは助かるものだなあ、とポジティヴに考えようとしたが、ちょっと無理だった。
そこで、猫を数匹亡くしている保坂和志や町田康の本を読んでみて、心構えをすることにしてみた。
「ハレルヤ」や「猫にかまけて」を読んだら、べつおに関係なく悲しくなってしまった。
もうほとんど動けないべつおを動物病院に連れて行った。
水分が取れないので皮下補液、いわば点滴をするためである。
待合室で待っていたら、看護師さんがべつおが息をしていないことに気がついた。
まったく気づかなかった。
いつも、大事なことに気がつかない。
言い訳をすれば、先生の話では、死ぬ直前には痙攣を起こすだろう、とのことだったのだ。
こんなに穏やかに死ぬとは。
脈を先生が診てくれて、まだ少しだけありますから抱いてあげてください、といった。
たぶん脈はもうなかったのだと思うが、べつおを抱きしめた。
魂なんてものがあるとして、それがどのタイミングで身体を離れるかなんか、誰にも分からないから。
今年はカタールでワールドカップが開催される。
普通なら6月に開催されているのだが、暑いから11月開催になった。
2022年9月5日にべつおは亡くなった。
20歳だった。
5回目のワールドカップには間に合わなかった。
別に興味はなかったと思うけど。
猫として長生きはしたと思う。
とにかく、べつおはべつおなりによくがんばった。
動物病院の先生や看護師さんからもほめられた。
べつおは私にとってかけがえのない同志であった。
たぶん、べつおについては書きたいことがこれから出てくるのだろう。
そのときには、まただらだらと書くことにする。
写真は、亡くなる直前のべつおです。
苦しくて眠ることもままならずつらそうでしたが、本当にがんばっていました。