木を隠すなら森の中に。
死体を隠すなら戦地に。
ケーブルを隠すなら、うちの「ケーブル入れ」に。
「ケーブル入れ」という入れ物がこの世界の片隅にでも存在するのかどうかは知りません。
ひょっとすると、世界ケーブル協会東京ケーブル支部に勤める主任ケーブラーのケーブルバッグの中に「ケーブル入れ」があって、整然とケーブルが並んでいるのかもしれません。
うちの「ケーブル入れ」は、押し入れのファンシーケースの二番目の引き出しのことです。
さまざまなケーブルがアンリ・ルソーの描くジャングルの樹木のように激しくいやらしくうねうねと絡み合っています。
さまざまな電化製品、パソコンなどを購入し、処分しては、その結果として残ったケーブルがその引き出しにたまっていきます。
ミニプラグ、標準プラグ、miniUSB、映像端子、同軸ケーブル、ACケーブル……
多種多様なケーブル、コード類が出番を待っています。
しかし、決して出番がやってくることはありません。
なぜなら、そこにどんなケーブルがあるのか、世界中の誰も把握していないからです。
「ときめかないケーブルは捨てましょう!」とコンマリ先生は言っています。
だけど、私はケーブルになぜかときめくのです。
ケーブルから有用性を捨象したモノとしての形象が好きなのでしょうか。
それとも、かつて何かと何かを取り結んでいたことへのノスタルジーなのでしょうか。