餃子、そばがき

今さらですが、あけましておめでとうございます。
さて、年の区切りなんかどうでもいい、と言いつつも、実はスタートダッシュを決めてやりたいと思っていたりしていました。
さすがに昨年はだらけすぎた。
新規まき直ししてやろうじゃないか、と言う野望。

しかし、すっかり躓きました。
何に躓いたのか。
それは年末にまで遡ります。

うちには、元日に親戚たちがやって来る風習になっています。
今年は新たな若手もやって来るらしい。
そこで今回、私は腕を揮って餃子を作ることを決意しました。
餃子は週一のペースで作っているので、得意です。
整体の先生のアドヴァイスを取り入れて、今回は海鮮餃子を取り入れてみることにしました。
たぶん、これもうまくいくでしょう。
うまくいくことがわかっているのは、つまらない。
そこでさらにチャレンジングなことに、餃子の皮を自作してみることにしました。
これも整体の先生のアドヴァイスによります。

12月30日に100枚の餃子の皮を作り、海鮮餃子を50個包んでみました。
うまくいった感が自分ではあったのですが、念のため20個をパイロット版として焼き餃子及び水餃子にしてみました。

よくいえば、肉まんの出来そこないを食べているよう。
はっきりいえば、小麦粉の塊を食べているよう。

とにかく、皮が厚すぎ。

もっともっとていねいに広げなくてはいけなかったが、超適当に粘土を伸ばす程度のことしかしていなかった。
唯一、客にふるまう前に事前に自分で食べるという良識を持てていたことは、ほめてあげたい。
胸焼けしつつ、20個の餃子は食べきりました。
包んでしまった30個の餃子は皮を破いて餡を取り出し、市販の皮に包んで正月にふるまいました。
特に好評でもなく、ただ淡々とみんな食べていました。

むかしむかし、友だちが行きつけの蕎麦屋「花月庵」でどうしても食べたいものがある、というのです。
いったいなんだい?と私たちが尋ねると、彼は「そばがき」が食べたいんだ、と言います。
若い私たちは、そばがきという食べ物がなんなのか分かりません。
検索できない時代ですから。
想像だけが膨らみます。
そして、ある日意を決して、友だちは「そばがき」を注文します。
しかし店側は「そばがき」だけは注文するな、と言うのです。
注文してもらうと困るお品書きっていったい。
そう言われれば、さらに食べたくなるのが若気の至り。
店の忠告を無視し、友だちはついに「そばがき」を食べました。
それはまさに小麦粉を食べているようだった、といいます……。
そんな話を、思い出しました。

心機一転なんか、むり。

こうなったら、だらだら道を極めていくしかないですね。