昨年終わりにSurface Proを導入してから、職場ではipad proではなく、Surfaceで作業をするようにしていました。
職場のPCがWindowsであることもあり、親和性が高いような気がしたのが理由の一つ。
それよりも、Macがあまりにも勢力を拡大したので、もう一回ひねくれてみようという天の邪鬼な理由が大きいかも。
以前の記事にも書いたとおり、Macはあまりにきっちり、整然としすぎていて、混沌としたところがない。
それに比べてWindowsは何が何だかわからない部分がたくさんあって、野生の雰囲気。
カスタマイズのしがいがある。
もちろんMacを完全に放棄したわけではなく、並行して使うようにしていました。
しかし最近体調が悪いこともあって、PCに構ってられないなあ、という日々。
Windowsだけで完結していればまだましなのかもしれないのですが、私の場合Macとどうにか連携させたいという作業が入ってくるので、何かと面倒くさい。
連携させるためには基本的にMacとWindowsで共通に使えるアプリを探さなくてはいけないのですが、なかなか難しい。
例えば、Day OneといったアプリもMac(ios)にしかなくて、Windowsで使えない。
もちろん「journey」などの似たアプリはあるのですが、しっくり来ない。
結局、アプリの出来が相対的にMacの方が上に思います。
まあ、おおよそのガジェットをアップルでそろえているので、そう考えてしまうのですが。
職場のPCとの親和性といっても、そもそも職場のPCとはセキュリティの関係で接続はできないのですから、自分のスケジュール管理や日々の記録という作業はMacでやってもWindowsでやってもどちらでもいいわけです。
Surfaceを職場で使うのをやめて、ふたたびiPad proで作業をするようにしたら、楽。
さくさくさくっとガジェット間の連携が何も考えずに出来てしまうのは、やはりやめられません。
そんな中、Surface ProがiPad Proにたいして持つ優位性は、親指シフトができるという点です。
このポイントだけはずうっとこだわっていたのですが、ある日、バイリンガルでいいじゃない、ということで決着しました。
どういうことか。
ロシア人のナボコフは、革命で祖国を追われ、英語で小説を書きました。
もちろん『ロリータ』も英語で書いたのです。
ナボコフと比べるのも、しかもロシア語-英語と比べるのもどうかと思いますが、ロシア語と英語に比べれば、親指シフトとローマ字入力の両方で原稿を書くことにさほど差はない。
つまりはすぱっと割り切ればよい。
そう思ったら気楽になりました。
どこか偏執的なところがあるのですが、そこからやっと脱け出ました。
Surface Proの出番は減りましたが、Windowsでないとできないことがありますので、そこで活躍してもらっています。