『異邦人』としての私

カミュ『異邦人』の主人公のムルソーは、母親が死んだのに葬式では涙も見せませんでした。

その後、ムルソーは殺人事件を犯してしまいます。

母の死に対して悲しみの感情を表さなかったことから、裁判で冷酷な人間というレッテルを貼られ、彼は死刑判決を受けることになります。

ちなみに、人を殺した理由は「太陽が眩しかったから」。

 

『異邦人』を最初に読んだのは、高校をやめて引きこもっている頃。

文学作品と呼べるものを読んだのはきっと初めてでした。

「自分のことが書かれている」と思えた小説でした。

 

私の父が死んだときには、もちろんへらへらしていました。

残念なことに喪主代理あいさつを読んだ際には涙を流してしまい、ムルソーに申し訳ないことをしましたが。

厳粛な場においてはくだらないことを言ってしまい、皆が楽しく盛り上がっているときには押し黙る。

つまりは「ひねくれ者」に過ぎないわけですが、ずうっとそんな態度をとってきてしまいました。

しかし、どうしても社会的に求められる役割や儀礼を無批判に踏襲することが苦手なのです。

今後そんな機会があるかどうか分かりませんが(たぶんない)、記者会見で謝罪会見を開かなくてはいけなくなるとしても、何十秒か頭を下げ続けるなんてしたくない。

つまらないだじゃれを言って、ひんしゅくをさらに買ってしまいそうです。

 

皆さんがばかばかしいと思いながら役割を演じていることくらい、私も大人なので知っています。

だけど、やっぱり無理。

いつか死刑にされてもしょうがないな。

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この記事を書いた人

m-betsuo(べつお)

やる気のない中年男性が、やる気を出そうとしています

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