競馬が人生の比喩なのではない。人生が競馬の比喩なのだ。
寺山修司の名言をこのように記憶していたのだが、調べてみると正しくは次のとおりらしい。
だが、私は必ずしも「競馬は人生の比喩だ」とは思っていない。その逆に「人生が競馬の比喩だ」と思っているのである。
今後、原典を確認することにしたい。
ラジオでこんな歌が流れていた。
あなたを思い出す この店に来るたび
坂を上(のぼ)ってきょうも ひとり来てしまった
山手のドルフィンは 静かなレストラン
晴れた午後には 遠く三浦岬もみえる
ソーダ水の中を 貨物船がとおる
小さなアワも 恋のように消えていった
「海を見ていた午後」荒井由実
ふつうは「アワ」と「恋」は逆にするだろう。
「小さな恋は アワのように消えていった」というように。
寺山の「比喩」と同じように、ふつうの比喩が見事に反転されている。
何度もこの歌を聴いてきたが、今さらこんなことに気がついた。
才能あるものは、簡単にこんな曲芸めいたことをする。
才能ないものはまねしないほうがいいのだろうなあ。