ひとり野球盤

むかしむかし、テレビゲームが普及するより前の話。
「野球盤」というものがありました。

野球盤というのは、エポック社が出している玩具です。
私が持っていたのは「AM型」というモデルでした。

エポック社の野球盤 | 歴史資料館

基本的に二人で遊ぶゲームで、「投手」が投げて、「打者」が打ちます。
実際には、レバーで操作する投球装置から金属の玉(パチンコ玉より小さい)を転がし、タイミングを合わせてボタンを押すとばねでバットが回転する装置で打つのですが。
グラウンドの守備位置やフェンス際などに「OUT」とか「2B」と書かれた穴があります。

そこに入ると、アウトや二塁打になります。

どこにも入らなければシングルヒット。
オーバーフェンスによる本塁打もありました。

投手と打者の間の地面の「裏」には磁石が設置されていて、それをレバーで動かすことで変化球も投げられました。
「消える魔球」というのもありました。
消える魔球は、投手が手元のレバーを引くと、ホームベースの前にある穴が開き、転がる玉が落ちて「消える」というもの。
見逃せばボール扱いだったような気がします。
いったんレバーを引き、玉が穴に落ちた瞬間にレバーを戻すことで玉を跳ね上げる、という技もありました。

野球を覚えたてのころ、野球盤にもはまりました。

べつおのわるだくみ
かたちから入るまだおべつおの少年時代(草野球篇) 野球を本格的に好きになったのは、関西から関東に引っ越してきて小学3年生になってからでした。 どういうきっかけだ…

というか、野球盤にはまったといった方がよい。
友だちと毎日のように試合をしました。
友だちが帰ったあとは、一人で自主練をしました。
打者側に自分を置いて、投球装置を使わず手で転がすのです。

自主練をするうち、一人でも試合ができるんじゃないか?と思い始めました。
右手と左手が違う人格である、という設定にすればいいのです。
当時は読売が強かったので、それに応じた力加減もしていました。

と思いながらも、我が大洋ホエールズには勝たせてしまっていました。
そのうち、友だちとやるより「ひとり野球盤」のほうがおもしろくなって、夏休み中一人でやっていました。
実況もしていました。
ニッポン放送の深澤弘アナウンサーが好きだったので、その口調をまねたものです。
あまりに試合をこなし過ぎたために、バット(金属製)がぽっきり折れました。
親は、ひとりで野球盤をやる子供(実況付き)を見てどう思ったのでしょうか?
隠れてやっていたつもりですが、大抵のことと同様に知っていたのに違いない。

スコアボードやフェンスの広告も手書きで作りました。
ポールも立てました。
折れたバットは接着剤で直したけどすぐ折れました。
しかたがないので、メーカーから郵送のやり取りで直接バットを購入しました。

ある日、雨でぐしゃぐしゃのグラウンドを再現したくて、グラウンドにコップで水を流しました。
グラウンドは紙製だったので、ごわごわになってしまいました。
たぶん、それと同時に野球盤への情熱は、すうっと消えていったように思います。

そのあと「人工芝」バージョンが出たのですが、もう買うことはありませんでした。

まだあるんですね「野球盤」。
やってる人いるのかなあ。
「パワプロ」をみんなやっているわけじゃないんだ。

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この記事を書いた人

m-betsuo(べつお)

やる気のない中年男性が、やる気を出そうとしています

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