怒りの「たねあり」葡萄

子どもの頃から無精です。

主な症状としては「出不精」がありますが、ほかにもいろいろ。

なんといっても口癖は「めんどくさい」。

常に楽をできる方法がないか、ということを探して生きてきました。

カーブになっている道を歩くときもできるだけ直線に近くルートをとり、少しでも短い距離を歩こうとします。

合理的、というのとは違う。

食べることについても同じです。

基本的にお腹いっぱいにさえなればなんでもいい、というタイプ。

だから食べる時間がとても短い。

スローフードがよいという現代に合わせるのがたいへん。

日本の食文化を破壊していくのは、私のような人間に違いありません。

昔から、葡萄についてはいつも不満に思っていました。

小さな葡萄でも皮をむかなくてはいけない(と親に言われたと思う)。

そのうえ、大きな葡萄になると種まである。

ああ、食べるのがめんどくさい!

どうして丸のまま食べられないのか?

子どもの頃から疑問で、食卓に葡萄が出てくると憂鬱でした。

しかしいつの頃からか葡萄に種がないのがあたりまえになっていき、皮ごと食べてもおいしいというものが現れてきました。

すばらしい時代!

文明よ、ありがとう!

さて、スーパーでこんな表示を見て驚いてしまいました。

いまや「たねあり」葡萄が希少なものなのです。

むしろ、種がある葡萄を懐かしがって食べる方がいるのでしょうか。

ひょっとすると、種なし葡萄なんて植物の自然な姿ではない、「種あり葡萄」しか食べないぞ、という方がいるのかも。

しかし、先日読んだハラリさんの本を読むと、人間はずうっとさまざまな動物や植物を好きなようにいじってきたのだから、今さらその流れを止められるわけはないですね。

私としては葡萄を房から「もぐ」ことすらめんどうなので、ばらばらっと粒が房から落ちた形で流通してくれないかと願っています。

あるいは房ごと食べられるようにするとか。

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この記事を書いた人

m-betsuo(べつお)

やる気のない中年男性が、やる気を出そうとしています

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