野球は9人でやるもの。
正確にいえば、両チーム合計18人でやるもの。
さらに審判を必要とします。
集団スポーツというのは多くの人間の中でやっていかないといけない。
だから、社会性を身につけるにはよいものなのでしょう。
小学生の頃、野球が好きになってから少年野球に入りたいなあ、と思ったことはありました。
だけど、結局入る勇気がありませんでした。
めんどくさそうなんだもの。
おかげで現在に至るまで「コミュ障」。
子どもの頃は、そんな言葉はありませんでした。
あまりいい言葉ではないけれど、むしろそういう言葉があった方が救われた気がします。
うまく周りとやっていけないのは自分だけじゃない、と早めにわかったはずだから。
それでもたまには、数少ない友だちと両チーム併せて5人とか6人で野球をしました(奇数でもなんとかできる)。
雨の日にはテレビゲームもない時代なので、友だちと野球盤をやりました。
そのうち、友だちが塾に行くようになり、ひとりで野球盤をやり始めました。
野球をすることも少なくなっても身体は動かしたい。
壁に向かって軟球を投げたりしました。
星飛雄馬も壁に向かって投げていました。
ずうっとこれを続けていれば、とてつもないコントロールが身についたかもしれません。
しかし、飽きた。
室内の電灯から下がっているスイッチひもの先端を物差しで打つ、というのもよくやりました。
しかし、爽快感がない。
ヒモが蛍光灯にぐるぐる巻きになって困ります。
そのうち、ひとり野球は進化していきます。
ボールは父がゴルフの練習で使っていた、穴あきボール。
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ピンポン球くらいの大きさだが、少し素材が厚い。
バットは、すりこぎ棒。
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自室の壁にクッションなどを積んで、その上にこたつの天板を立てかける。
そのこたつの天板に向かって、ボールを投げる。
跳ね返ってきたボールをバット(すりこぎ棒)で打つ。
「相手」が速球投手の場合は速く投げます。
すると、自分でも打てない。
しかし、自分で打てないという状況がおもしろくなってきます。
上達していくと、投げる加減とか回転によってスライダーとかシンカーを投げられるまでになりました。
変化しているように脳内調整していたのだと思いますが。
打つと、当然壁やらガラスやらに当たって激しい音を立てる。
たぶん何かが壊れたと思いますが、いやなことは忘れてしまうので記憶にありません。
心が壊れたのでは、なんてうまいことをいわないでください。
親がいないときを見計らってやっていたけれど、近所の家はあそこで何やっているんだ、と思っていただろうなあ。
「川上宗薫」という小説家がいました。 私にとっては、宇能鴻一郎と並び立つ官能小説家です。
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確か、毎週日曜日にやっていた「笑っていいとも」増刊号だと思うけれど、川上さんが「ピンポン野球」に興じている模様が放送された。
それは基本的に私のやっているのと同じで、壁に向かってピンポン球を投げて、跳ね返ってきたのを打ち返す、というもの。
少し、感動してしまった。
そしてそれがきっかけだったかどうかは忘れたけど、「ひとり野球界」から引退する日がほどなく訪れました。